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『全体主義の起原 1 ― 反ユダヤ主義 』ハンナ・アーレント

全体主義の起原 1――反ユダヤ主義 【新版】

2017年1月、アメリカで今から60年以上も前に書かれた本がベストセラーとなりました。

政治哲学者ハンナ・アーレントが著した『全体主義の起源』

ナチスの迫害を逃れ、アメリカに亡命したユダヤ系ドイツ人のハンナ・アーレントは「全体主義」がどのように生まれたのかを探ろうとしました。

 

「わかりやすい政治を求める大衆が全体主義をもたらす」

ハンナ・アーレントの主張は今ふたたび注目を浴びています。

Point
「全体主義」という言葉はトランプ大統領誕生あたりからよく聞かれるようになった。

 

 

全体主義とは

  • 「全体主義」という言葉を最初に使い始めたのは、イタリアのファシズム政権やドイツのナチス関係の知識人たち
    どちらかというと自分たちの体制のことをポジティブに表現する言葉だった
  • 逆に西側の人たちは彼らの体制の異様さを表す言葉として使用
  • 国家と一体化したいという欲求が地下水脈のように段々と強まり、大衆の願望が動かしていった政治運動、あるいは体制

ハンナ・アーレント(1906年~1975年)

ハンナ・アーレントは1906年、ドイツの裕福なユダヤ人家庭に生まれました。

自由主義的な考えを持っていたアーレント一家は特に宗教に関心を持たず、ハンナは家でユダヤ人という言葉を聞くこともなく育ちました。

ハンナ・アーレントにとってユダヤ人であることはただの事実に過ぎず、社会とのあつれきを感じることはありませんでした。

 

ハンナ・アーレントがユダヤ人問題への関心を深めたのは、哲学を勉強する過程でユダヤ国家の建設をめざす人(シオニスト)たちと交流を持つようになったからでした。

そんな中、1933年にヒトラー内閣が成立。

台頭したナチスはユダヤ人を敵視。

状況は次第に悪化していきます。

 

ハンナ・アーレントはベルリンでシオニストの非合法活動に協力したとして逮捕されますが、8日後に釈放。

すぐにドイツを脱出し、フランスに逃れます。

 

その後、ナチスドイツはニュルンベルク法により、ユダヤ人の公民権をはく奪。

さらに「水晶の夜」と呼ばれた事件では、ドイツ各地でユダヤ人の住宅やユダヤ教のシナゴーグが焼かれました。

 

翌年、ナチスのポーランド侵攻により、第二次世界大戦が始まるとハンナ・アーレントにとってはフランスも安住の地ではなくなりました。

ドイツ出身者は「敵国人」としてフランス南部の収容所に送られたのです。

 

1940年 パリが占領されると、ハンナ・アーレントは混乱に乗じて夫とともにアメリカに亡命。

ニューヨークで反ユダヤ主義に抵抗する文筆活動を始めます。

 

そこでハンナ・アーレントは驚くべきニュースを耳にします。

ユダヤ人収容所で何百万人もの大量虐殺が行われたというのです。

想像を超えたユダヤ人への絶滅計画。

ハンナ・アーレントはそれが真実と知ると大変な衝撃を受けます。

 

「決して起こってはならないことが起こった」

ハンナ・アーレントは突きつけられた事実を理解しようと試みます。

そして大戦終結後、ドイツに残されたヒトラー政権の膨大な資料を調べ上げ、『全体主義の起源』を書き上げたのです。

『全体主義の起原 1 ― 反ユダヤ主義 』

反ユダヤ主義とユダヤ人憎悪は

同じものではない。

ユダヤ人憎悪というものは

昔からずっと存在したが、

反ユダヤ主義はその政治的、

及びイデオロギー的意味において

十九世紀の現象である。

 

ハンナ・アーレントは19世紀に生まれた反ユダヤ主義が、それまでのユダヤ人に対する反感とは根本的に違うものだと考えました。

従来のユダヤ人のイメージは『旧約聖書』でイエスを十字架にかけた罪深き民。

キリスト教が禁じた、利子をとって金を貸す金融業で儲けるマイノリティーでした。

17~18世紀には各地の王家に金を貸す宮廷ユダヤ人として高い地位を得る者も現れます。

しかし多くのユダヤ人の富は憎悪とさげすみの対象となり、差別を受けていたのです。

 

そうした立場を大きく変えたのが19世紀。

ナポレオン戦争後に生まれていった「国民国家」でした。

「国民国家」とは言語、歴史、文化を共有する人々によって構成された国家のこと。

ナポレオン戦争で敗れ、フランス人に支配された各国の人々が、国民意識に目覚めていくことで国民国家が生まれたのです。

 

そうした状況の中でユダヤ人の立場も変化します。

ロスチャイルド家に代表されるユダヤ人銀行家が台頭。

ヨーロッパ全土にわたるネットワークを築き上げます。

そしてそれまで差別を受けていたユダヤ人の国民にも法律上の人権が与えられました。

しかし、それこそが新たな「反ユダヤ主義」を生み出すきっかけとなったのです。 

まさに国民国家が

その発展の頂点において

ユダヤ人に法律上の同権を与えた

という事実のなかには、

すでに奇妙な矛盾がひそんでいたのである。

同質的な住民の内部では

ユダヤ人は疑いもなく異分子であり、

そのため、

同権を認めてやろうとするのであれば、

ただちに同化させ、できることなら

消滅させてしまわねばならなかったのである。

Point
国民国家(Nation-State)
  • Nation→文化の共有を自覚している人たちの集合体
  • State→官僚・警察・軍隊などの組織

国民国家というのは「Nation」と「State」を一致させようとする。

しかし問題なのは大陸には自然的な国境はなく、様々な「Nation」意識を持った人々が混住していること。

国民国家がどのようにできたのか(ドイツの場合)

ドイツのルーツである「神聖ローマ帝国」の中には様々な文化の人々が住み、やがてそれぞれの領主が治める小さな国が数多くできました。

19世紀のナポレオン戦争で神聖ローマ帝国は消滅。

 

「ドイツ人」という意識を持つ地域の集まり「ドイツ連邦」が結成。

1871年にはドイツ統一。

しかし、その中にドイツ人とは異質とみなされた人々のユダヤ人がいたのです。

国際的な商業カーストとして、

いたるところで利害を等しくする。

家族的コンツェルンとしてのユダヤ人という

イメージがくりかえしあらわれ、

やがてこうしたイメージは、

王座のかげにかくれた隠密の世界勢力、

あるいは世界のあらゆる出来事の裏で

糸を引いている

全能の秘密結社といった幻想へと変容した。

その権力とされるものを

一切の社会的秩序の破壊のために

利用するのではないかと否応なしに疑われたのである。

Point

弁護士・医者・教師・大学教授にユダヤ人の割合が高かった。

陰に隠れて結託してヨーロッパ各国でどんどん上りつめているのではないかという妄想が膨らみやすい状況に。

反ユダヤ主義を象徴する事件

1894年、フランス陸軍大尉アルフレッド・ドレフュスがドイツのスパイである容疑をかけられ逮捕されます。

フランス陸軍の機密情報が記されたメモがドイツの外交官の屋敷から発見され、筆跡が似ていることからドレフュスが疑われたのです。

ドレフュスは無罪を主張。

物的証拠も状況証拠も薄弱でした。

逮捕の理由は彼が「ただ一人のユダヤ人士官」であったこと。

 

この時、反ユダヤ系の新聞は「ユダヤ人は国家を裏切る陰謀をめぐらせている」と主張。

軍部の弱腰も非難します。

証拠不十分のままドレフュスの判決は終身刑。

練兵場で軍刀をへし折られ、南米の離島へと送られたのです。

 

アーレントはこの事件を通じ、国民国家に同化しようとしたユダヤ人をパリアという言葉で表現。

それは「体制外に置かれ人間扱いされない人」を意味する言葉でした。

不幸なドレフュス大尉の事件は、

人権などなく、

社会が法の保護の外に

置いておこうとしてきた

あのパリアの名残が、

すべてのユダヤ人の男爵、

すべてのユダヤ人富豪、

すべてのユダヤ人のナショナリストのなかに

今なおひそんでいることを全世界に照明してしまった。

Point

当時、フランスのパナマ運河開発会社の贈賄事件(パナマ疑獄)があり、ユダヤ人金融アドバイザーの関与で多くの人が破産に追い込まれた。

その直後にドレフュス事件があり「やはりユダヤ人は・・・」という発想に。

扇動家が計画的に行ったわけではなく、国民がそういう陰謀を信じて盛り上がってしまう素地がすでにあった。

経済的に行き詰った時に「誰かが足を引っ張っている」「異物が自分たちのポテンシャルを奪っている」と考えるようになると、「異物は排除しなければといけない」という発想になっていく。

 

『全体主義の起原 2 ― 帝国主義』につづく 

 

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