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『全体主義の起原 2 ― 帝国主義 』ハンナ・アーレント

全体主義の起原 2――帝国主義 【新版】

19世紀末、資本主義が発達したヨーロッパは原材料の産地と市場を求め、アフリカやアジアの国々を植民地化していきます。

「帝国主義」のはじまりです。

西欧人たちは自分たちと全く異なる人々と出会い、彼らを未開の存在であると優越感を持ち始めます。

 

政治哲学者ハンナ・アーレントはこうした差別意識が人類に優越をつける思想を生み出したと指摘しました。

『全体主義の起原 2 ― 帝国主義 』では「帝国主義」から「人種思想」、さらに危険な「民族的ナショナリズム」へとつながっていく過程が描かれています。 

 

『全体主義の起原 2 ― 帝国主義 』

帝国主義がどのように人種思想を生んでいったのか

19世紀末、イギリスやフランスなどの帝国主義が標的としたのはアフリカ大陸でした。

なかでも、アジアへ向かう中継地にすぎなかった南アフリカは1870年代以降、ダイヤモンドや金の鉱山が発見され、ヨーロッパから大量の人がなだれ込んできます。

「文化」を共有する人々から成り立っている国民国家は、そこで今まで見ることのなかった西洋文明とは異なる暮らしをする人々と出会います。

 

国民(ネイションは領土、人民、国家を

歴史的に共有することに基づいている以上、

帝国を建設することはできない。

国民国家は征服を行った場合には、

異質な住民を同化し

「同意」を強制するしかない。

彼らを統合することはできず、

また正義と法についての自らの基準を

彼らにあてはめることもできない。

そのため征服を行えば

つねに圧制に陥る危険がある。

 

ヨーロッパ人の目には見かけも風習も異なる彼らは理解不能な存在と映りました。

彼らに国民国家の一員として人権や法の保護を与えることはできなかったのです。

そこに19世紀末の帝国主義の大きな矛盾がありました。 

 

国民国家は征服者となる場合、

必ず被征服民族の中に

国民意識と自治の要求とを

目覚めさせることになるが、

こうした要求に対して、

征服者となった国民は

原理的に無防備だった。

 

「なぜ支配されねばならないのか?」

植民地の人々の間に自然に起こる自治の意識に対抗するためには、新たな政治的な支配装置が必要でした。

それが人間には「人種」というものがあり、そこには優劣があるという人種思想だったのです。

 

フランスの小説家アルテュール・ド・ゴビノーは白人が生物学的に優れているという人種理論を提唱しました。

白人は植民地の人々に神のようにあがめられる存在なのだと考える根拠を与えたのです。

 

アフリカに根を下ろした人種思想は、

ヨーロッパ人が理解することはおろか

自分たちと同じ人間だと認める

心がまえさえ

できていなかったような

種族の人間たちと遭遇したとき、

危機を克服すべく生み出した

非常手段だった。

『闇の奥』と『地獄の黙示録』

『全体主義の起原 2 』の中でジョセフ・コンラッド著の『闇の奥』が引用されています。

イギリス人クルツがアフリカの奥地で黒人を支配して、神のようにあがめられる存在になるという物語。

ちなみにクルツは『地獄の黙示録』のカーツ大佐のモデル

人種思想がドイツにおいてどのように変化したか

ドイツにおける帝国主義は、イギリスやフランスなど他の西欧諸国とは別の道をたどりました。

1871年に国家を統一したドイツはイギリスが行ったようなアジア、アフリカへの植民地進出に出遅れます。

そのため、ヨーロッパ大陸内で支配地域を広めることを目指すようになるのです。

これを「大陸帝国主義」と呼びます。

 

ドイツ帝国は1890年以降、東ヨーロッパやバルカン半島進出への野心を抱き、これが第一次大戦の原因の一つとなります。

しかし、ドイツ帝国は敗戦。

新たに誕生したワイマール共和国は、ドイツ人の民族意識を高揚させるドイツの歌を国歌に制定します。

敗戦の痛手の中、歴史的にドイツ民族が住んでいた守るべき土地の広大さに思いをはせたのです。

 

【ワイマール共和国時代のドイツの国家】

 この祖国を守るため

 常に兄弟の団結があるならば

 マース川からメーメル川まで

 エチュ川からベルト海峡まで

 ドイツ、ドイツ、すべての上に君臨するドイツ

 世界のすべての上に君臨するドイツ

 ※現在この歌詞はドイツ国家には採用されていません。

 

この歌にはヨーロッパ大陸に広がる「民族の血」に対する誇りが象徴されていたのです。

 

やがてドイツは大昔からドイツ民族のものであるはずの土地を取り戻さなければいけないと考えるようになります。

それがナチスが体現した「民族的ナショナリズム」

血の共同体として民族の統一を目指すものでした。

しかしドイツが求めた広大な領域は、実際にはドイツ人以外の民族が多く住んでいました。

 

政治的に見れば

民族的ナショナリズムの特徴は、

自分の民族が「敵の世界に取り囲まれて」、

「一人で全てを敵とする」状態に置かれている

という主張である。

この見方からすれば、

この世界には自分自身と

自分以外の他の全てとの間の区分以外には

いかなる区別も存在しない。

民族的ナショナリズムはつねに、

自分の民族は比類なき民族であり、

その存在は他の諸民族が同じ権利をもって

存在することとは相容れないと主張する。

 

ドイツ民族こそが最上位の民族であり、他のヨーロッパの民族を支配する権利があると考えたのです。 

Point
19世紀に入ってナショナリズムが高まっていく中で、「国民(ネイション」では概念の枠が狭かった。(「国民(ネイション」は自分たちは一つの政治的単位であるべきだ、自分たちで自治をすべきだという明確な意識を持った人たちの集まり)

 

そこで「民族(フォルク(Volk)」という概念が意味を持ってくるようになる。

もともとは民衆という単純な意味だったが、自分たちの先祖が住んでいたところには自分たちの同胞がまだいて、先祖が住んでいた土地も「民族(フォルク」として一体だという意識が生まれてきた。

 

最初は祖先が住んでいた土地を訪問しようという素朴な運動だった。(ワンダーフォーゲル運動:19世紀末ドイツで始まった青少年による野外活動)

 

ドイツ的な土地を渡り歩いてドイツというものをもう一度自分の身体で体験しようという運動から、自分たちが一つの血族共同体を形成していって、それをもう一度つなぎ本当に偉大な民族にならなければいけないという意識に変化。(第一次大戦の敗戦による賠償金や13%の領土喪失も一つの要因に)

 

そして国民国家の枠組みが揺らぎ始め、ナチスが台頭してくる土壌へ。

帝国主義の時代に生まれたもう一つの問題

1914年に始まった第一次世界大戦。

帝国主義同士が激しくぶつかり合ったこの戦いは各地に多くの難民を生み出しました。

ヨーロッパの国々は次々と自国にいた他民族を領土から追放。

国家の成員としての身分を奪い、多くの無国籍者を生み出したのです。 

 

十八世紀も十九世紀も、

文明国に生きながら絶対的な

無権利・無保護状態にある人間を

知らなかった。

第一次世界大戦以来、

どの戦争もどの革命も一様に

権利喪失者・故国喪失者の

前例なき大群を生み出し、

無国籍の問題を新しい国々や大陸に

持ち込むようになった。

 

アーレントは「無国籍者」こそ、戦争の最も悲惨な産物であると考えました。

どの国家も受け入れられないほど大量に発生した難民は、どこからも法の保護を受けられない存在となったのです。

アーレントは無国籍者の問題とは彼らが法によって守られていないというだけでなく、人間が生まれながらに持っているはずの権利まで失ってしまったことにあると考えます。

それはフランス革命以降、人々が信じてきたヨーロッパの人権の概念を覆すものでした。

 

今、政府の保護を失い

市民権を享受し得ず、

従って生まれながらに持つはずの

最低限の権利に

頼るしかない人々が現れた瞬間に、

彼らにこの権利を保証し得る者は

全く存在せず、

いかなる国家的もしくは国際的権威も

それを護る用意がないことが

突然明らかになった。

 

こうして普遍的な人間性は失われ、国民国家の内部でもユダヤ人すべての人権を奪うという「全体主義」へ、時代は加速していくのです。 

Point
難民に普遍的人権がある以上は近くの国が引き受けるべき。

しかし、国家というものは「国民(ネイション」をベースにして国民の利益を守ろうとしてやってきたわけだから、「国民(ネイション」に属していない人間まで守ってやる義理はない。

そういうことが第一次大戦で露骨に明らかに・・・。

同一性が予想を超えて人々に求められるようになった結果、普遍的人間性の理想の限界が見える形となった。

 

『全体主義の起原 3 ― 全体主義』につづく

 

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