『火花』読了。
まさか泣くとは・・・・・・。
ええ、泣いてしまいました、鼻水が出るくらいに。
『火花』の評価
お笑い芸人と先輩芸人と笑いとは何かについてのお話。
客観的に判断すると・・・
- 純文学でもなんでもなくただの私小説。
- 文章もそんなに上手くない(ド下手な私が言うのはおこがましいですが)。
- 作家としての才能があるかどうかも分からない。
いや、これが完全に創作だったら才能ありといえますが、又吉さん自身が体験した経験の断片を寄せ集めて膨らませた感じの小説になっているので、経験のストックがある分には書けるでしょうが、それがなくてどれくらい書けるのかは今の時点では判断不可。
本筋からそれているにも関わらず、ある人の幸せをしつこいくらいに願ったりする部分などはバランスが崩れており、経験の断片に又吉さんの個人的感情が入りすぎていると感じてしまう部分もありました。
葛藤
「笑い」とは何かを突きつめながら体現していく。
普段の何気ない会話や真面目な話に至ってもボケたりつっこんだりし続けなければいけない。
はたから見ているとしんどい。
でもそれが芸人として息をしているってことなんだろう。
純性の「面白い」でありたい。
徹底的な異端であることが正解なのか。
一般の人たちに伝えることを重要視するのか。
趣味でやっているなら理想だけで生きられるかもしれない。
でもその道で食べていくとしたら理想だけでは生きられない。
そんな葛藤は、お笑い芸人だけではなく、夢を真剣に追い続けた経験のある者には痛いほどよく分かる部分。
泣ける・・・
さすが芸人と言わざるを得ない。
最後の漫才の舞台がすごかった。
泣けて泣けて、涙で文字が見えない・・・
「え?お笑いでしょ?泣けて正解なの?」
「泣けて正解です!!」
この漫才を生で見ていたら劇場で号泣していたと思います。
ある種、パンクのステージだと思いました。
私はパンクバンドを20年くらいやっていたのですが、似たようなことをやっていたのかなと思いますし、読んでいるうちに何故か自分や仲間たちのバンドのステージがフラッシュバックして、それでよけいに泣けてしまったのかもしれません。
又吉さんがお笑いにどれほど人生をかけてきたのかがよく分かります。
あと、小説では書いちゃダメだということも思わず書いてしまっていますよね。
世間からすれば、僕達は二流芸人にすらなれなかったのかもしれない。だが、もしも「俺の方が面白い」とのたまう人がいるのなら、一度で良いから舞台に上がってみてほしいと思った。 「やってみろ」なんて偉そうな気持など微塵もない。世界の風景が一変することを体感してほしいのだ。自分が考えたことで誰も笑わない恐怖を、自分で考えたことで誰かが笑う喜びを経験してほしいのだ。
必要がないことを長い時間をかけてやり続けることは怖いだろう?一度しかない人生において、結果が全く出ないかもしれないことに挑戦するのは怖いだろう。無駄なことを排除するということは、危険を回避するということだ。臆病でも、勘違いでも、救いようのない馬鹿でもいい、リスクだらけの舞台に立ち、常識を覆すことに全力で挑める者だけが漫才師になれるのだ。それがわかっただけでもよかった。この長い月日をかけた無謀な挑戦によって、僕は自分の人生を得たのだと思う。
これに関しては、読んだ者が自分で感じて受け取るメッセージ、または批評家が書くもので作者が書くものじゃない。
でも、お笑いが好きすぎてこんなこと書いちゃうんだろうなぁ。。。
気持ちは分かります。
▽私もこの記事で書きましたから。
外野がごちゃごちゃ言ってんじゃねー!
文句があるなら自分で音楽やれよ!
能動的に関わってこそ分かることがあるってね。
又吉さんのお笑い熱がダダ漏れで、夢を追いかけて何かに夢中になったり、苦しんだりしたことがある人は、そこにシンパシーを感じてしまうでしょう。
涙から激怒へ
ところでラストの巨乳云々のことなんですが、あれいります?
お笑いとしてはいるの?
K!!お前はパンクを聴くんじゃねー!!ぶち殺すぞ!!というか死ねや!!
お前が行方不明のまま死んだら、ええ感じのエンディングだったんじゃないのか!!
むきーーーーー!!!!!
私の青春であり宗教でもあるパンクに完全に泥を塗られた気分です。
電子書籍で読んでいたのですが、iPadを叩き割りそうになりました。
涙の後に激怒ですか。
こんなにも極端に感情を揺さぶられたのは久々です。
でも「この『火花』を読んだ方がいいか?」の質問には、絶対に「イエス!」と答えるし、「又吉直樹が好きか?」の質問には「ますます好きになった」と答えます。
読んでよかった。
ありがとうピースの又吉直樹。
こんなに熱く真摯にお笑いに人生をかけているなら、芸人の冠は絶対に外しちゃダメ。
これからも応援したいと思います。
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